75歳、年金5万円の母に息子が突きつけた冷酷な一言「もう無理だ」…絶望の貯金ゼロから始めたワンルーム生活

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物語の内容 :

秋の午後も薄い雲がかかった空から柔らかな日が差し込んでいた。花子は縁側に座って湯のみを手にしていた。庭の柿の木が赤橙色に色づき始め、枝を揺らす風が静かな家の中にも季節の移ろいを運んでくる。そんなひとときが、今の花子にとって唯一の安らぎだった。だが、その穏やかな時間は突然破られた。

卓上電話の呼び出し音が薄暗い部屋に響く。花子は一瞬手を止め、耳を澄ませた――息子の剣一からかもしれない。最近は要件がある時しか電話をかけてこないが、母親の花子にとって息子の声を聞けるのはやはりうれしい。かすかな期待を抱きつつ、彼女はゆっくりと立ち上がり、受話器を取った。

「もしもし」「母さん」――剣一の声が聞こえた。どこか急いでいるような、落ち着かない響きが混じっている。花子の胸に小さな不安がよぎる。「剣一? 元気にしてるのね。裕子さんや子供たちは?」花子は声を明るくしようとしたが、剣一はすぐにその言葉を遮った。

「母さん、ちょっと話があるんだ」――その口調には言いにくさとためらいが含まれていた。花子は受話器を握る手に力を込めた。嫌な予感がした。おそらく、良い話ではない。「どうしたの?」

一拍の沈黙のあと、剣一の声が小さく、しかしはっきりと告げた。「仕送りを……減らしてほしいんだ」

花子の耳が言葉を拒絶したかのように、一瞬だけ音を失った。剣一が何を言ったのか理解するまでに時間がかかる。仕送りを減らす――あの剣一が、これまで「母さんに無理をさせたくない」と言って毎月決まった額を送ってくれていた息子が、減らすと言うのだ。「どういうことなの?」絞り出すように問い返す花子の声が、わずかに震えた。

剣一はため息混じりに続けた。「会社の業績が悪くてさ。子供たちの学費もかかるし……正直、もう無理なんだ」

その言葉は刃物のように花子の胸を切り裂いた。「もう無理だ」という冷たい現実が、花子の安堵していた日常を一瞬で打ち砕く。剣一は母親に負担をかけまいと、ずっと無理をしていたのだろう。しかし、その優しさが終わりを告げる瞬間だった。

「……そう。分かったわ。無理させてたのね。ごめんね」必死に声を保とうとしたが、花子の口元は引きつり、手の甲に白い血管が浮かび上がった。剣一が何か言いかけたが、すぐに「じゃあ、また」と短く告げ、電話は切れた。

プツン、と音が途切れ、花子の耳には再び静寂が戻った。しかし、その静寂はいつもの穏やかさではなく、底知れぬ冷たさに満ちていた。花子は受話器を握ったまま固まっていた。「もう無理だ」という一言が頭の奥で何度も反響する。言葉の意味を理解しようとすればするほど、胸の奥が締めつけられるように痛んだ。

息子が苦しいことは分かっていた。子供たちの学費、家のローン、嫁の裕子だってきっと大変だ。それでも剣一だけは最後まで自分を支えてくれると信じていた。――これから、どうすればいいのかしら?

自分でも気づかぬうちに声が漏れていた。耳に届いたその声は、自分のものとは思えないほどかれていた。花子はようやく受話器をそっと置き、ソファに腰を下ろした。

誰に向けるでもなく、花子はぽつりと呟いた。「こんなはずじゃなかったのに……」。声に出すと、張り詰めていた感情が一気に溢れ出しそうで怖かった。それでも言葉にしなければ、現実を受け入れられない気がした。

すぐ脇のちゃぶ台には、今月分の家計簿が開いたまま置かれている。年金五万円、そのうち固定費が三万八千円。残る一万二千円で光熱費と食費を賄わなければならない。そこから仕送りがなくなれば――算段は容易に崩れ去る。

「働くしかないか……」花子は自分に言い聞かせるように呟いた。しかし七十五歳の身体は、若い頃のようには動かない。十年前に患った腰痛は寒い日には疼き、長時間立っていると膝が笑った。それでも生きていくには稼がねばならない。

夫、雅夫の遺影が長押に掛けられている。穏やかな笑みを浮かべる写真に向かって、花子は頭を下げた。「ごめんなさいね。あなたと約束した“のんびり余生を過ごす”なんて、もう叶えられそうにないわ」。涙は見せまいと決めていた。夫と過ごした日々まで弱さで汚してしまう気がしたからだ。

視線を部屋の奥へ移す。そこには雅夫と選んだソファ、茶箪笥、そして結婚当初から使っている箪笥が並んでいる。どれも年季が入っているが、思い出が染み込んでいるから手放せない。だが、現実は非情だ。住み慣れたこの家を引き払い、安いワンルームに移るしか選択肢は残されていない。

花子は決意を固めるように深く息を吸った。――まずは部屋を片付けて、不動産会社に連絡しよう。ソファも茶箪笥も、写真だけ残して処分するしかない。

数日後――。

花子は古い家の畳の上に正座し、段ボールを一つずつ閉じていった。茶箪笥の引き出しから出てきたレースの敷物、夫と選んだ急須、子供たちが小学校で作った粘土細工……。手放せない物は驚くほど少なかった。思い出は胸にしまっておける、と自分に言い聞かせてガムテープを貼る。

午後になると、不動産会社が手配した買い取り業者が到着し、ソファと箪笥を運び出した。部屋に残るのは段ボールの山と掃き清めた床だけ。花子は空になった居間を見渡し、そっと手を合わせた。「長い間、守ってくれてありがとう」。その声は微かに震えていたが、涙は落ちなかった。

転居当日の朝、秋の空は透き通るように高かった。小型トラックの助手席に乗り込むと、運転手の青年が気さくに話しかけてくる。「お母さん、お引っ越し大変でしょう? 休み休みでいいですよ」――花子は「ありがとう」と笑った。久しぶりに自分の笑顔を感じた。

トラックが坂を下り、角を曲がるたびに、窓から見える景色が遠ざかっていく。柿の木、縁側、雨戸の影――。花子は背筋を伸ばし、まっすぐ前を向いた。過ぎ去る風景に未練を残せば、歩みが止まってしまう気がした。

*  *  *

新しい住まいは駅から十分ほど歩いた川沿いのワンルームマンションだった。築三十五年の古い建物だが、管理人が丁寧に掃除しているのか階段は意外に清潔だ。部屋は六畳一間に小さなキッチンとユニットバス。窓を開けると、川面を渡る風がさわりとカーテンを揺らした。

「今日から、ここが私の城ね」花子は声に出してみた。段ボールを壁際に積み直し、まずは電気ポットと茶葉を取り出す。湯気の立つ湯のみを手にすると、見慣れぬ壁紙も少しだけ温かく見えた。

夕方、荷解きの手を止めて廊下に出ると、向かいのドアが開き、若い女性が小さく会釈をした。「こんにちは。今日お引っ越しですか?」。花子が頷くと、彼女は手にした紙袋を差し出した。「これ、うちの近くの和菓子屋さんの最中なんです。良かったらどうぞ」。

思いがけない心遣いに胸が熱くなる。「ありがとう。私は花子と申します」「私は佐知子です。お困りごとがあったら気軽に声かけてくださいね」。短い会話だったが、柔らかな笑顔が部屋の窓から差す夕陽よりも温かかった。

花子は紙袋を胸に抱え、そっと扉を閉めた。小さな住まいに最中の甘い香りが広がる。息子の「もう無理だ」という一言で始まった転居だったが、その先にも人の優しさがある。湯のみを持ち直し、花子は静かに微笑んだ。

(※続いて「ワンルームでの新生活」以降をリライトします。次の更新で完了予定です。)

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